宇多田ヒカルの新曲「Mine or Yours」の歌詞で「令和何年になったらこの国で 夫婦別姓OKされるんだろう」というフレーズがあり、かなり話題というか、物議を醸してしまいました。ただこの曲は政治的なメッセージソングではないので、この歌詞だけ切り取ってあーだこーだと騒ぐのは音楽をちゃんと聴かない人たちだと思います。このフレーズを入れた本心は宇多田自身にしかわかりませんが、時事的なフレーズをポンと入れることによって、不協和音的なテンションの役割を果たすための歌詞だろうと推察されますが、それ以上の主張があるとは思えません。
ただこれだけ話題になるということは、夫婦別姓について世の中の関心がかなり高いことの表れだとも言えます。世論調査などでは国民の多くは「選択的」夫婦別姓を支持しています。いまの「強制的」夫婦同姓に比べたらずっと個人の自由度が広がるのですから、とりたてて反対する理由がありません。あるとしたら、法政大学元総長の田中優子が語ったように「家父長制を守りたい」人たちだろうという見解に同意しますが、もっと単純にリベラル的な人たちが賛成することには何でも反対したい人たちの格好の標的になっていると感じます。支持者に配慮して反対しているものの、本音では別姓賛成の保守系女性政治家も多いのではないでしょうか。多くの人が旧姓で政治活動をしているのですから。
女性が社会で活躍していく、特に国際的に仕事をしていくためには姓を変える不利益をなくすことが必要です。その不利益について詳しいことはここでは書きませんが、いろいろなところで語り尽くされています。いま国内市場が小さくなるばかりの日本にとって、男女問わずインターナショナルで活躍する人材が必要なことは言うまでもありません。国として進めるべき方向性に合致するのが選択的夫婦同姓制度なのに、少数派の年配の主に男性が反対して議論を止めている現状は憂うべきでしょう。
ちなみに僕は結婚してもうすぐ40年になりますが、40年前に夫婦別姓を選ぼうとしました。妻が通訳翻訳業をしていて、旧姓のまま仕事を続けることを望んだからですし、僕も同じ姓になる必要性を感じていなかったからです。しかし40年前は今よりもはるかに女性が別姓のままでいるには制度もメンタリティも不十分でした。入籍をしないか、通称使用をするか、僕が妻の姓を名乗るかの三択でした。いろいろ親も含めて話し合いをしましたが、結局入籍をした上で妻が旧姓を通称使用することにしました。当時としてはもっとも無難な落としどころでした。
とは言え、今ほど通称使用に理解はなく制度的にも遅れていたので、結婚当初はいろいろ言われましたし不自由も多かったです。なにせ当時はまだ女性は結婚をしたら仕事をやめて家庭に入るのが当然だと思われていた時代でしたから、旧姓のまま仕事を続けるなんて多くの人の理解の範囲を超えていました。ただ当時からの友人知人は、40年経った今でも妻への年賀状は旧姓で送ってきてくれる人たちがいて、妻の気持ちを汲んだそういう心遣いを「ありがたいね」と思っています。そして望む人が望む形を選べるようにするだけのことが、なぜいつまで経っても実現しないのか、40年前から思っているわが家では、宇多田ヒカルならずとも歌詞の一節に入れたくなるほど不思議です。

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