服部が亡くなった

 世の中が長嶋茂雄の話題ばかりの中で、「元幕内・藤ノ川が死去」というニュースが出ていました。藤ノ川と聞いてピンとくるのはかなりの相撲ファンだけでしょう。藤ノ川は昭和40年代に活躍した力士。僕が子どもの頃に大好きで応援していたソップ型の力士でしたが、26歳の若さで腰痛で引退をしました。もういい年だから亡くなるのも仕方ないかと思いきや、なんと亡くなったのは藤ノ川武雄が伊勢ノ海親方時代に育てた弟子の藤ノ川祐兒の方でした。先代はまだ78歳で健在のようです。
 その亡くなった藤ノ川祐兒の方は64歳。僕と同い年です。そして名古屋の東海高校出身。高校時代は柔道でインターハイに出場して個人戦重量級で優勝しています。高校2年の夏のことでした。当時はもちろん本名の服部祐兒で柔道をしていました。服部は双子で揃って柔道をしていて、当時から有名な兄弟でした。服部祐兒が個人で優勝し、東海高校が団体でもベスト4に入ったインターハイの一週間後、名古屋市民スポーツ祭というローカル大会に我々旭丘高校柔道部が出場した時、2回戦の相手が東海高校でした。
 我々は同じ進学校同士で学校も近所だったので、東海と練習試合をしたことがありますが、高校生同士では相手にならず、中高一貫校の東海中学の子たちと試合して互角という有様でしたから、当然弱小旭丘相手にレギュラーは出してこないだろうと予想していました。ところが両校が並んで挨拶した時に相手を見たら服部兄弟ら1軍が並んでいて驚きました。僕は大将だったのですが、服部祐兒は中堅だったので、直接対戦することはありませんでしたが、もちろん団体戦は5人全員30秒以内で秒殺されて終わりました。「良い記念になるな」と話したのを今でもよく覚えています。
 服部は東海が進学校だったせいか、東海大、国士館大、天理大といった柔道の名門大学に進まず同志社大学に進学。我々は服部が柔道でオリンピックのメダリストになると期待していたのに、なんと大学で相撲部に転向して学生横綱、アマ横綱になり、「アマ最強」と騒がれて角界入りをしました。柔道ではなく相撲だったのはちょっとだけ残念でしたが、もちろん相撲でも横綱になることを期待して応援していたのですが、これまた残念なことに師匠と同じく26歳で腰痛で引退をしてしまいました。幕内在位11場所、三役に上がれずに引退したのは本当に服部の素質を考えると惜しかったと思います。その後はスポーツキャスターをしてから東海学園大学の相撲部を指導し、今は教授になっていたようです。
 僕と服部の人生が交わったのは、1977年8月の愛知県体育館での短い試合の時間だけでしたが、同学年で近所の進学校の柔道部の生徒だったということで、勝手に長らく親近感をもっていました。まだ64歳、早いです。謹んでご冥福をお祈りいたします。
よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

この記事を書いた人

コメント

コメントする

目次