大人の対応

 僕は10代後半から20代にかけて「大人の対応」というやつが大嫌いでした。この場合の「大人の対応」の意味は、僕としては「裏表のある言動」ということでした。本音を隠して、表面的に良い顔をして軋轢を避けたり、なんらかの利益を得ようとしたりする態度と言っても良いでしょう。もっとも、そんな年頃にシビアな商取引の現場に立ち合っていたわけではなく、主には友達付き合いの中での話ですから、大して大人な話でもなく、上っ面だけ良い顔をするような八方美人的な対応が嫌いなだけでした。
 今から思えば本当にまだ子どもっぽいというか、青臭い態度でしたが、それを当時は「自分が正しい」と思っていたので、おかしいことはおかしい、イヤなものはイヤ、という態度を貫いていました。当然ですが揉めます。特に会社に入ってからは「反抗的」「和を乱す」「生意気」などと言われて、先輩から注意をされたりしていましたが、一部にはそういう生意気な若手を面白がる人もいるので、そういう人と仲良くしてより目を付けられるという悪循環です。
 ただ正論をぶちかますことも多かったので、当時は受けいれられなかったけれども、今となっては当たり前になっていることもあります。例えば「オフィス内で嗜好品で中毒性のあるタバコを吸うのは酒を飲んでいるのと同じだから全面禁煙にすべき」とずっと主張していましたが、40年前は一笑に付されて議論にもなりませんでした。「女性社員にお茶を入れさせたり、若手社員に雑巾掛けをさせるのは業務ではないし教育でもない」と言っても、ただ「生意気だ」と怒られました。「業務時間が終わってからの酒の付き合いを仕事の延長と強制するのはおかしい」と言っても「変な奴」扱いでした。
 20代の頃はエネルギーに溢れていましたから、怒られても反発するだけの力がありましたが、30代40代となっていくにつれて、そういう面倒な軋轢を起こすよりも、うまく対応して無駄なエネルギーを使わずに物事を進めていく方が楽だなと思うように変わってきます。筋を通すより省エネを考えるようになったのです。たまに話のわからない取引先とケンカしたりしていたので、若気の至りの尻尾は残っていましたが、さすがに大人になったのに「大人の対応」が嫌いとか苦手とか言ってる場合ではないという立場になってきてしまったので、内心では忸怩たる思いがありながら、平坦な道を選ぶために大人の対応をすることが多くなりました。
 そして今やもう退職目前の64歳。自然と大人の対応ができる年代になりましたが、逆にもうそろそろ大人の対応をしなくても素直に自分の気持ちに従って生きても良いのでは、という思いもよぎります。このまま「人生の知恵を身につけた穏和な老人」になるのか、「筋を通す面倒な頑固ジジイ」になるのか。若い時は「不良老人」とか「暴走ジジイ」と呼ばれるようなロックな年寄りになりたいと思っていましたが、実際にその年齢になってくると、そういう生き方はエネルギー消費が半端ないということもわかるので、迷うところです。
 
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