今日は会社の部の忘年会でした。43年近く会社員をしてきて、ほぼ毎年忘年会を繰り返してきましたが、今日の忘年会が会社員生活最後の忘年会となりました。と言っても、特に何があったわけでもなく、また特別な感慨もないのですが、よくこんなに長い間忘年会をやってきたものです。新入社員の時には当時の慣例で新入社員が企画運営する忘年会というのがあって、出し物や企画を全て新入社員が考えてやりました。僕は当時ヒットしていた梅沢富美男の『夢芝居』を歌うことになり、梅沢っぽい帽子にサングラスでカラオケを熱唱、それに合わせて同期が女形の扮装で踊りました。受けたのかどうかも記憶が定かではない1983年12月のことでした。
その後も若手時代の忘年会にはいろいろ思い出があって、ある年は「スリラー」を踊り、ある年は「We Are the World」を歌い、またある年は会社の上司や先輩のモノマネを披露して大受けしたものの一部の上司を怒らせたりしました。とにかく昭和の忘年会は若手が出し物をするのが慣例だったので、年末が近づくとネタを考えて練習をして披露するのが12月の仕事の一部でした。当時はスマホがなかったので写真も少ししか残っていないし、当然動画もありません。あんなに頑張って練習したのに動画も残っていないのは残念ですが、思い出の中にしかないからこそ良いのかもという気もします。
少し時代が進んでバブルの頃の忘年会はビンゴ全盛で、豪華賞品が夜な夜な乱舞していました。幹事の腕の見せ所は宴会芸ではなくなり、いかにビンゴのために豪華賞品を用意できるかでした。10万円以上の賞品をゲットできる忘年会も珍しくなく、テレビや旅行券などが喜ばれていました。普通の飲食店での忘年会では飽き足らず、観光バスを貸し切ってナイトツアーをしながらビンゴで海外旅行が当たるという忘年会もありました。ゲイバーや大須演芸場を貸し切ったこともあります。ボーリングをしてからそのままボーリング場の宴会場で忘年会をした時には、僕が幹事だったのでハイスコア賞を豪華すきやき用肉にして、自分でハイスコアを出して牛肉ゲットしてブーイングされたこともありました。
「失われた30年」の忘年会は随分と質素になりました。妙な企画も演出もなく、せいぜいオモシロ動画を作成したりクイズをしたりするくらい。そしてコロナ禍で一度忘年会は完全に失われ、この2年くらいでようやく忘年会も復活してきたという感じですが、まだかつての勢いを取り戻してはいません。テニスサークルの忘年会も2019年が最後で、今年も復活はしていません。失われた「忘年会文化」はもう元に戻ることはなく、ポストコロナ時代の新たな忘年会スタイルが生まれてきているのかも知れませんが、僕はもうそれも卒業することになりそうです。
