歌手で俳優の上條恒彦が亡くなりました。85歳。うちの娘は名前を聞いてもピンとこなかったのですが、「紅の豚」「もののけ姫」「千と千尋の神隠し」などのジブリアニメに出ていたと言われてわかりました。若い人にはアニメ声優として認識されているようです。俳優としては金八シリーズや大河ドラマなどで活躍し、「屋根の上のヴァイオリン弾き」「マイ・フェア・レディ」「ラ・マンチャの男」などのミュージカルにも多数出演しています。
しかし僕にとってはやはり「出発の歌」「だれかが風の中で」の歌手・上條恒彦でした。1971年の年末に「出発の歌」で世界歌謡祭グランプリを獲得し一躍有名になった上條は、1972年1月のドラマ「木枯し紋次郎」の主題歌「だれかが風の中で」を歌い、連続ヒットを飛ばしました。小学校5年だった僕はこの上條の歌声に衝撃を受けました。これぞ歌手だと感動しました。この頃、尾崎紀世彦が「また逢う日まで」以降、連続してヒット曲をリリースしていた時期で、上條と尾崎が僕の中で「歌うま」トップ2だと認知されたのです。
その頃の僕は音楽の授業で歌うと音痴じゃないかと揶揄されることもありました。音楽の授業ではウィーン少年合唱団のように清らかなボーイソプラノで歌うことがお手本とされていたのですが、僕は上條&尾崎の歌声こそが至高だったので、どうにもこうにも先生の求めるものと合わないのです。この2人のモノマネにずっと熱中していたので、バリトン風で歌いたいのに全く求められていませんでした。
そのため小中学校を通じて音楽の授業で歌うのは、僕の中では苦手なことになってしまいました。自分が歌いたいように歌うと「ふざけている」と思われるからです。まあ基本がモノマネだから、それをふざけていると言われればふざけていたんですけど。大学生になると谷村新司とか布施明とかをこっそりと歌って楽しんでいました。大学時代の十八番は「昴」で、新入社員の時に何か歌えと言われて「昴」を歌って少々白けた感じになったのを覚えています。そりゃあもっと盛り上がるアップテンポの歌を披露すべきですよね、新人は。それ以降はチェッカーズを歌うようにしましたから。
そんなわけで11歳の僕が大好きだった上條&尾崎風に歌を大っぴらに歌えるようになったのは、カラオケが流行った20代半ばからのことです。アホみたいにカラオケばかり行っていた20代後半から30代。そしてボーカルのレッスンを受けるようになったこの3年は、思う存分に気持ち良く声を張り上げています。尾崎紀世彦は2012年にこの世を去り、そしてこのたび上條恒彦が亡くなりました。幼き日の歌の師匠たちに合唱ならぬ合掌。

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