釜本邦茂逝く

 サッカー界のレジェンド釜本邦茂が亡くなりました。81歳。長嶋茂雄が日本プロ野球最高の選手なら、釜本は日本サッカー最高の選手でした。釜本なくして日本サッカーの今日の隆盛はありません。1968年のメキシコ五輪、釜本が7得点を挙げて得点王になり銅メダルを獲得した時から、日本のサッカーは人気スポーツへの階段を上り始めたのですから。
 メキシコ五輪の時はまだ7歳でしたから、サッカーのこともよくわかっていない年頃でした。ただ「カマモト」の名前だけは印象に残っていました。小学校高学年になり校内のクラス対抗サッカー大会に出るようになってから、改めてサッカーの教則本を読んで、代表で釜本とホットラインを形成していた俊足ドリブラー杉山隆一のことを知りました。研究するほどに、自分は体が小さくて釜本のような点取り屋にはなれないから、杉山のようになろうとウイングでセンタリングを上げる練習をずっとしていました。
 校内クラス対抗で優勝すると、近隣の小学校3校の対抗試合に代表として出られました。ひたすらセンタリングを上げ続けて5年生6年生と2年連続優勝できたのは密やかな自分の自慢です。当時はセンターフォワードが何より人気で、点を取る選手だけが注目される時代でしたから、アシスト王は誰も見ていなかったので、あまり誉めてもらえませんでした。杉山を目指していた自分だけが自分を誉めていました。
 ただサッカーは近視が進むにつれて難しくなったので、中学以降は体育の授業でたまにするくらいになってしまいました。メガネをかけてのプレーは危険だし、裸眼ではボールもチームメイトもぼやけて見えません。当時ソフトコンタクトレンズが普及していればサッカーもできたのかも知れませんが、残念ながらまだコンタクトレンズをしている高校生はほとんどいませんでした。
 釜本は1970年代に入ってもずっと日本代表としてチームを引っ張っていましたが、日本代表はまだ弱小でアジアでも勝てない暗黒時代でした。釜本自身も怪我や病気でしばしば代表の試合に出られず、ワールドカップとは無縁でした。代表での最多得点記録を持っている個人としては日本サッカーを代表するプレーヤーでしたが、海外クラブにも行かず、世界の強豪国と渡り合ったのがメキシコ五輪だけだったのは、時代に恵まれなかったと言うしかないでしょう。点取り屋らしくエゴイストな一面も目立つ人だっただけに、後輩たちの世界での活躍ぶりを称賛しつつも、内心では少し悔しかったのではないかと思っています。ご冥福をお祈りいたします。
 
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