コップの中の差別

 各方面にケンカを売るような話かも知れませんが、僕と同じ立場なら共感してくれる人も多いと思う話をします。例えばテニスをしていると、「どこの大学」「どこの高校」の部活でやっていたかをすごく重要な情報のようにやり取りする場面に出くわします。「〇〇大学?じゃあ2こ下のAって知ってる?」みたいな感じです。体育会でテニスをしていたかどうかが大事みたいで、同じ大学でもサークルだと聞いた瞬間に興味が無くなるみたいです。ましてや僕のように遊びでテニスを始めたテニススクール育ちの人間は、最初から彼らの眼中にありません。完全に「素人さん」扱いで「仲間意識」はないようです。本人たちはあまり悪気もないみたいなので、無自覚のうちに仲間かどうかの線を引かれているのかなと思います。
 音楽を習っているとレッスンしてくれる先生のプロフィールには出身の音楽大学名を含め必ず経歴が詳しく書かれています。特に仰々しく書かれているのが「師事」した先生の名前です。どうやらエライ先生の名前をいかにたくさん書くことができるかが大事なようで、その中に外国人の先生が加わるとさらに格が上がるみたいです。これも我々のような門外漢からしたらチンプンカンプンな話で、音楽家って音楽で語るものじゃないの?経歴がそんなに大事なの?経歴がないと上手いと認められないの?と感じてしまいます。僕がもし趣味が高じてプロのステージで演奏するようになったとしても、この「師事」の壁の前で立ち止まってしまいそうです。
 かつてコピーライターをやっていた頃に組んでいた芸大出身のアートディレクターが、「あのデザイナーは正式なデザインの勉強をしていないから」と一般大学出身のデザイナーを悪く言っていて、強い違和感を感じたことがありました。デザインの善し悪しに学歴は関係ありません。そこにあるのは優れたデザインと下手なデザインだけです。コピーライターなんて学歴は関係なく、みんな仕事をしながら覚えていく職種ですから、「芸大出てるのがそんなにエライのか?」と思ってしまいました。少なくともデザインの優劣を本人のセンスや努力ではなく学歴で語るのは差別です。
 そしてどれもこれも所詮小さな世界の中だけのマウンティングです。コップの中の差別なのです。その世界から一歩外に出たら、どこの大学を出ていようが、誰に教わっていようが関係ありません。残るのは結果だけです。なので差別されている我々「スクール育ち」のテニス愛好家は「インハイ」「インカレ」選手だったという相手に勝つことを至上の喜びとしています。差別されている側が下剋上を果たすのは本当に気持ちが良いものです。と言っても、僕が頻繁に草トーに出ていた頃は部活出身で草トーに出ている奴なんて一部だったからこそ、そういう雰囲気もありましたが、最近の草トーは部活経験者がたくさん出ているようなので、ちょっと空気が変わってきているかも知れませんが。
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