ネットで読んだ記事の話ですが、ヤクルトの山田哲人がずっと不調でかつての輝きを失ってしまっていることについて、「感覚で打っていた選手は、身体能力が落ちた時に立ち返る土台がないので迷走してしまう」ということが書いてありました。山田の不調の理由が本当にそういうことなのかどうかは僕は判断できませんが、感覚に頼ることの怖さというのはわかるような気がします。
テニスで頭の上の速くて高いハイボレーを飛んできた方向とはコースを変えて決めるというショットが得意でした。もう10年以上も前のことです。体を横向きにしてラケットを振るというよりは角度を変えて合わせて打つのですが、「よくそんな難しい打ち方ができるね」と誉められたことがありましたが、僕自身は「え?こんなの簡単じゃないの?」と思っていました。なぜできるのかと言われても「簡単だから」という答えになっていないことしか言えませんでしたが、これこそが感覚で打っていただけでした。特に練習したことはなかったけれども、やったらできたという感じです。
ところが何年も前からこれができなくなりました。そもそも頭の上の良く見えないところでラケットを出して角度を変えるというのは難易度が高いショットです。何となくその感覚があったから当たっていましたが、いつの間にか失ってしまったみたいで、最近は角度を変えてオープンコートに決めるとか難しいことをせずに、ただ相手コートに返すだけのつもりでもガシャったり、最悪空振りをしたりします。しかし、練習して培った技術ではなく、なんとなくできていたショットだけに、空振りしてもどう修正したら良いのかわからないのです。
僕と山田哲人では全然レベルが違うというのは百も承知ですが、何となく感覚でできていたことは、いったんその感覚を失うと取り戻すのが大変だという点では同じだと思います。サックスでも先生によるとアドリブはできる人はすぐにできるようになるそうです。これも「なんとなく」できてしまうらしいです。僕は全然その感覚がないので、頭でいろいろ考えてステップを踏んで練習してもなお、未だにうまくできません。ただコツコツと積み重ねてきたことは、忘れることもなく身に沁みついてきているので、戻るところはありそうな気がします。
天才と呼ばれる人は、この感覚でできることが深く広いのでしょう。それを才能と呼ぶのはわかりますが、その才能を枯渇させないためには、天才と言えどもコツコツと努力を積み重ねていくことが必要なんだろうなと思います。そして才能が有り余っていて努力しないでも余裕で他を圧倒できているのに、そこに苦しい努力を続けていくのは、もしかしたら凡人よりもしんどいのかも知れないなと改めて思いました。

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